東北に「希望」を取り戻す―どうしても作りたかったのは、そんな事業でした。

本事業は、「人と人をつなぐ優しく持続的な事業を。東北から世界へ。」を目指して、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけとして生まれました。支援ではなく、地元の人と、地元に根付き、長く続く新たな事業を構築することを信念として、私たちは事業を構築し、世界に発信できるブランドづくりをしていきます。
「気仙椿ドリームプロジェクト」として2011年から始まった本事業は、2015年春から新たなフェーズを迎えています。そのため、2015年12月より「三陸椿ドリームプロダクツ」に名前を変え、更に強固に三陸の企業と連携してブランド構築を行います。
それが、2011年3月11日からもうすぐ5年を迎えようとしている今の、私たちの決意であり覚悟でもあります。

事業の始まり

2011年3月11日、私は東京にいました。当時は、まだコンサルティング会社に勤務しており、コンサルタントをしていました。国際協力をバックグランドとしていた私は、災害の後の地域において産業がいかに重要なのかということを、学んでいたため、東日本大震災の被災の様子を見て、「経済を活性化させていくこと」ということについて、ぐるぐると考えていました。ただ、緊急支援のフェーズでは自分にできることは寄付や物資集めや、そのための情報収集であることを認め、東京で出来ることをしていました。
2011年5月に、沿岸地域の経済活性のために出来ることを考えるため、沿岸部3県を周りました。その時、縁があって沿岸部を共に回ることになったのが、一緒にプロジェクトを立ち上げることになった佐藤でした。直後から被災地域を周り、物資や情報のコーディネートのボランティアをしていた佐藤と、「一過性の支援ではない、継続的に続けていけるかたち」について議論しながら、沿岸部の方々からお話を伺いました。実は当初は、私はコンサルタントとして経済活性のお手伝いをしようと思っていたのです。ただ、沿岸部を回ってみて、日本の過疎地域が抱えていた課題や、一次産業の抱えていた課題を、体感し、「新しい事業を興していく必要性がある」ことを実感したのでした。

椿との出会い

東北沿岸部を回る中で、「真っ白な雪の中に咲く、真っ赤な椿」について地元の方が教えてくれたのが印象的でした。津波を受けても枯れなかったこの花の花言葉は「誇り」「理想の愛」「謙虚」。日本原産のこの花には古い歴史があると共に、その花言葉の意味に、とても日本らしい優しく謙虚な強い美しさを感じました。この花の種からとれる油を、地元の人は家庭で使う食用油として愛用してきていたこと、しかし安い油が売られるようになり、産業としては廃れ、遊休資源になっていることなどを知りました。この気仙椿油の存在を聞いて、私はモロッコのアルガンオイルの話を想い出しました。地元で食用として使われていた油が、美容オイルとして世界的に有名になったアルガンオイル。気仙椿もそういう商品にしていけないだろうか、と。

最初の商品ができるまで

私たちが活動を本格化したのは、私が会社を退職した2011年6月からです。そこから、最初の商品である気仙椿ハンドクリームを発売するまで、1年半の時間がかかりました。予算も何もない、想いと企画書しかない状態から、本当に「人と人のつながり」「優しさのつながり」によって、商品が誕生することになります。
商品化するにあたって、ハリウッド化粧品が協力して下さることになった背景には、社内にとても熱い所謂社内起業家(イントラプレナー)として共に進んで下さる方がいたらからだと思っています。そして、こうした企業との連携を促進してくれたのは、女医さんのボランティアグループであるEn女医会の存在もなくてはならないものでした。一方で、被災した地域でのパートナー探しは実は紆余曲折がありました。その中での大きな出会いは、2012年の年明けすぐくらいにお会いすることになる石川製油所の石川さんでした。半世紀の間製油業を営んでいた石川製油所は、震災前の時点では東北唯一の椿油の製油所でした。石川さんは、震災前にも大企業から椿油を売って欲しいという話があっても、地元に根付く産業づくりを目指し、地元の宝を守り続けてきた方です。それを、私たちは石川さんから教えて頂きました。東京とは異なるスピード感、異なる規模の拡大の仕方、そして何より地元の宝を半世紀以上守り続けてきた想いを、商品づくりを納得頂くために約5ヶ月通いながら、話をしながら教えてもらいました。
東京側での商品開発の協力者であるハリウッド化粧品とEn女医会、そして最終的に商品発売元となってくれたメイコーポレーション、そして陸前高田を拠点としていた石川製油所、それを引き継いだ障がい者授産施設である青松館との関係性が紡がれながら、1年半かけて2012年12月に1つ目の商品である気仙椿ハンドクリームを発売しました。

Heaven & Heartというブランド名への想い

現在販売している気仙椿コスメには、「Heaven & Heart」というブランド名をつけています。このブランド名をつける際に、私は当時のプロジェクトリーダーと長い議論を重ねました。約2万人の方が命を失った東日本大震災をきっかけとした商品にHeaven(天国)という言葉をつけることに抵抗があり、それを大切な人を失った方々がどう思うのか計り知れなかったからです。
このブランド名には、命を失った方と生かされた私たちがいつまでもつながっているということ、そうした目に見えないつながりにも感謝しながら生活していこうとする想いを込めています。また、生産地・生産者・消費者が優しい想いでつながっていく商品にしていきたいという気持ちもあります。私たちが東日本大震災をきっかけとして頂いた出会いに感謝しながら、この地球に生かされたものとして、未来をつくっていく時に大切にすべきことを、願いと決意としてこのブランド名に託しています。
しかし、実は最後までこのブランド名をつけるべきなのか議論では決着がつきませんでした。そこで最後は、石川さんご夫妻に聞いてみようということにしたのです。息子さんを亡くされた石川さんに、認めてもらえる名前であれば、これで決めようと。会いに伺う度に、お仏壇に手をあわさせて頂いていたからこそ、私たちの想いだけでは決めるべきではないと思っていたのです。「良い名前だね」その言葉をもらえたからこそ、このブランド名が商品につけられました。

三陸椿ドリームプロダクツへの名称変更

2011年より、「気仙椿ドリームプロジェクト」として始めてきた本事業ですが、2015年春から(株)バンザイファクトリーとの正式な業務連携が開始されたことにより、連携商品の発売が開始される2015年12月に名前を「三陸椿ドリームプロダクツ」と名称変更することにしました。
この名称の背景には、事業としてしっかりと現地に根ざして雇用を生み出していくことに対する新たな決意と覚悟があります。
椿の種から取れる油を使った商品販売だけでは、通年での雇用を生み出すのも難しく、椿農園を作るのも難しい。また化粧品の製造を陸前高田に移設するのはまだまだハードルが高い。そんな現状の中で悩み続けていたのですが、(株)バンザイファクトリーの高橋社長と議論を続ける中で、椿の葉を活用した椿茶を販売すること、恊働で農園を持つことなどが決まり、恊働で「三陸椿ドリームプロダクツ」というブランドを構築していくこととなりました。気仙よりもより広い地域である三陸を対象とし、津波を受けても枯れなかった椿をブランドロゴとして、今後世界を目指します。

未来に向けて

私は、この事業を続けていくことに対して、決意と覚悟をしています。事業としてすぐに大きな売上をあげていくのは難しいのが現実ではありますが、そんな中で迷うことや苦しいことがあっても、初心の想いや目的に立返りながら、地元の方々と共に、長く続く事業にしていくことを目指していくつもりです。それが、自分勝手な想いでない限りは、続けていこうと思っています。
2014年3月に、株式会社の本社を陸前高田市に移しました。事業として地元に少しでも雇用を生み出し、夢を生み出すことのできる商品をつくり、事業を構築していくことを目指して、これからもゆっくりゆっくりではありますが、進んでいくつもりです。
そんな人とのつながりが生み出してくれたこの事業について、私たちの想いについて、地元の人たちについて、椿について、このホームページを通じてより多くの人に伝えていけたらと願っています。

 

2015年12月14日
「三陸椿ドリームプロダクツ」代表 渡邉さやか(一般社団法人re:terra代表)

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